新垣勉講演会
2002年6月29日 今日はPTAがらみの講演会があった。
盲目のテノール歌手・新垣勉の講演会(リサイタル)だった。
彼は沖縄で米軍兵と日本人との間に生まれた。
助産婦さんのミスで、赤ちゃんのときに劇物を目薬と間違われて失明。
父はアメリカへ帰って行方不明。母は彼を残して嫁に行った。
祖母を母と呼んで育ったが、その祖母も中学生の頃に亡くなった。
混血児・障害児としていじめられ、生きる希望も無く死のうとさえ思ったときに、牧師さんと出会い、生き長らえることができたという。
勉強はできなかったが、歌だけは大好きだったとか。
イタリアの有名な指導者に歌を聞いてもらったとき、日本人離れした声をしていると言われたそうだ。
殺してやりたいとさえ思った両親だが、この声をくれたというだけで、今はもう許そうと思っていると。
「ナンバーワンになれずとも良い。オンリーワンの自分であれ。」
様々な苦を乗り越えてきた彼の言葉は、真実味があった。
そこに至る心の変遷は、彼の言葉の中に集約されていたのだろうか? 簡単には語り尽くせない多くのものがまだまだたくさんあるような気がする。
PTA役員を担って、色々の会合に出席する機会が多くなった。
行くまでは、じゃまくさいと感じるが、行ってみれば、それなりの収穫があると思うようになってきた。
あとはこれらをどう生かすかなのだが・・・
盲目のテノール歌手・新垣勉の講演会(リサイタル)だった。
彼は沖縄で米軍兵と日本人との間に生まれた。
助産婦さんのミスで、赤ちゃんのときに劇物を目薬と間違われて失明。
父はアメリカへ帰って行方不明。母は彼を残して嫁に行った。
祖母を母と呼んで育ったが、その祖母も中学生の頃に亡くなった。
混血児・障害児としていじめられ、生きる希望も無く死のうとさえ思ったときに、牧師さんと出会い、生き長らえることができたという。
勉強はできなかったが、歌だけは大好きだったとか。
イタリアの有名な指導者に歌を聞いてもらったとき、日本人離れした声をしていると言われたそうだ。
殺してやりたいとさえ思った両親だが、この声をくれたというだけで、今はもう許そうと思っていると。
「ナンバーワンになれずとも良い。オンリーワンの自分であれ。」
様々な苦を乗り越えてきた彼の言葉は、真実味があった。
そこに至る心の変遷は、彼の言葉の中に集約されていたのだろうか? 簡単には語り尽くせない多くのものがまだまだたくさんあるような気がする。
PTA役員を担って、色々の会合に出席する機会が多くなった。
行くまでは、じゃまくさいと感じるが、行ってみれば、それなりの収穫があると思うようになってきた。
あとはこれらをどう生かすかなのだが・・・
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